サンプル3

「関西弁は世界で機能するか」


これは「言葉と文化」の問題です。しかし、きわめて一般的な問題と根本的なテーマを考えないと結論がでないテーマです。標準語の虚構性と合理性、また、方言とその背景にある地方文化のあり方を含めた深くて広い課題でもあります。このテーマは関東の人と関西の人とではそのアプローチも大きく異なって来るというまことにおもしろいテーマですね。


書き方の手順

  1. 「結論」を考える・・・・・・・私は「世界で機能させるにはこうすればいい」という結論に持っていきます。
  2. その「根拠」=「本論」を考える・・・・・・・平凡ですが、「方言」の特殊性とその必要性を文化論、国家論と結びつけて説きます。
  3. 「序論」は地方論から初めて、文明論・世界観の新しい構築へのきっかけとしての理論が必要との提起をします。何事も単純が一番。あまりごちゃごちゃした構成は避けた方がよい。通り一遍の論ばかりでは退屈するし、概論ばかりでは説得力がない。一番いいのは阪神タイガースのベンチに巨人ファンがいると いうような設定でその体験を交えなどすれば面白みがでてくるかもしれません。

字数の計算

  1. 序論は20%・・・・・800字の場合は160字
  2. 本論に60%・・・・・800字の場合は480字
  3. 結論は20%・・・・・800字の場合は160字これを前提・原則にして、骨子を作る。

骨子作り

    1. 関西弁の良さ=特性は関西の風土であるからそれを強力にとぎすませていくこと。
    2. まずは関西弁がテレビばかりでなく、文化の一翼を担うものとして日本中で威力を持ち続けること。
    3. よって、以上の条件ならば関西弁は立派に世界に通用することが可能だ。
    1. 関西弁」の定義・・・・・・・関西で話されている言葉のうち主に大阪・京都・神戸で頻繁に現代も使われている言葉、とする。
    2. 「話し言葉」に限定する。
    3. 「世界」は日本の他の地方と先進国の欧米とアジアの地域とする。
    4. 地盤沈下現象のまっただ中にある大阪・京都を中心とする関西が今後の厳しい中で何とか勢いを盛り返してまずは日本で関西の勝利を宣言して、ついで、その勢いをかって世界でも通用するいくつもの関西弁の固有名詞を交流に乗せて広げていく企画こそ今必要とされている。
    1. 関西は関東に勝てるか。文化ばかりでなく、経済・政治の面で世界が直結している東京に対して関西弁の中心になる大阪はどうすれば勝てるか。
    2. 人間の気質に由来するならば、それを逆に武器にして古都である京都・奈良を観光資源としてではなく、文化の懐の深さとしてとらえ直すことで、関西文化とそれを取り巻く環境を良質なものに整理整頓していくプロセスから関西弁は世界共通の言葉としてその「力」を持っていく。ここで、関西人と関東人の気質をはっきりと示すエピソードを紹介する。
    3. それには、今の世界経済の地盤沈下に対する強烈なてこ入れが大阪中心でないとできないようなイベントや経済的な刺激を世界に対してやっていくことでその出来事の背後に関西弁を滑り込ませる方法を考える。オリンピック誘致の失敗に懲りずに、たとえば京都議定書を政府に強力に推進喧伝させるように圧力をかけてアメリカなど世界主要国の人たちにその動きの底流に大阪を中心とする新しいパワーを関知させる。

下書きから清書へ(3200字の場合)
(序論=500字 本論=1800字 結論=900字)


「関西弁は世界で機能するか」

 ここで論じる言葉は以下のように定義する。「関西弁」を「関西で話されている言葉のうち主に大阪・京都・神戸などを中心とした近畿一帯で頻繁に現代も使われている話し言葉」とする。「世界」は「日本の他の地方と欧米やアジアの諸地域」とする。地盤沈下現象のまっただ中にある大阪・京都を中心とする関西が今後の厳しい諸状況の中で何とか勢いを盛り返して、まずは、日本で関西の勝利を宣言して、ついで、その勢いをかって世界でも通用するいくつもの関西弁の新しい概念や観念を伝えるものとしての固有名詞をさまざまな交流に乗せて広げていく企画こそ今必要とされている。「機能する」ための処方箋をここでは提案してみたい。
 関東と関西という文化圏を極端に区別して論じると、果たして関西は関東に勝てるか。文化ばかりでなく、経済・政治の面で世界が直結している東京に対して関西弁の中心になる大阪・京都・奈良・兵庫・滋賀というくくりとして、どうすれば勝てるか。それを検討することで関西文化の優位性を論じてみたい。
 かつて江戸時代の元禄文化時代に開花した上方文化は驚くべき文化人の高い質と量とレベルを創造し、それを維持したことはよく知られていることである。江戸時代の文化をレベル・アップした上方文化の貢献度は大きい。何といっても全国の米が大阪の蔵屋敷に集まったことが大きい。経済の中心が大阪に集まることで経済的な蓄積が可能になり、それが継続することで文化人が輩出され、さらに、それらの武士や商人達をリードすべきハイレベルな指導的な文化人の輩出をさらに見た。それらが相まって、スパイラル状に関西文化は花咲いていった。それらは偉大な歴史的な懐の深さを背景に決して軽薄ではない文化を創造した。堺の自由都市。滋賀の近江商人。数え切れないほどのその地その地に特有の文化圏が生まれて、それらの有機的な総合体として上方文化が生まれた。そして、ある意味ではそのときのエネルギーが明治初期の堺出身の情熱歌人与謝野晶子などに引き継がれていったとも言えまいか。
 このように、経済・財政基盤の繁栄を前提とした上方(関西)人の気質に由来するならば、現代においてまずは経済基盤を整備し直し、その「ゆとり」を精神的に具体的に創出することで、それを逆に武器にして、たとえば、古都である京都・奈良を観光資源だけとしてではなく、各人の生き甲斐や目標探索や自分探しのための、そして、真の意味での肌をふるわせるほどのタイムマシーンとしての文化体験ゾーンとしてとらえ直すことも必要だろう。そうするとすれば、関西文化とそれを取り巻く環境を良質なものに、関西弁による真剣な議論を通して整理整頓していくプロセスが各地で生まれるだろう。その結果、その地域を根底から活性化するコミニュケーションの道具として関西弁はまずは関西において息をふきかえし、ついで日本全国に行き渡ってみんなを活気づける。勢いがつくと言葉はその流れと一体化する。その勢いがやがて世界共通の言葉としてその本来の「力」をさらに大きくしていくのではないか。
 たとえば、スタジオジャパンの経済効果は何兆円にもなると銀行筋はそろばんをはじいている。水の都としての大阪と強みと一致した結果である。また、同時多発テロ以来の京都や奈良への観光客の増加という回帰現象にも安穏と安易に考えるのではなく、これを機会にさらに「異質の文化圏」に対する未体験ゾーンのようなレベルまで歴史を多様な価値観や感覚で主体的に掘り起こし、そこで訪れる人たちがひとりひとり主体的な感性や価値観で体験ができるようなきめの細かい装置の創出に向かっての関西全体の無駄のないシステムの構築と開発が重要ではないだろうか。そして、そこでは中央を象徴する標準語に対する無駄な抵抗としてのやけっぱちの関西弁ではなく、きわめて創造的な提起を背景に持つ総合的な記号・理念としての関西弁であるべきだ。
 単に単発のイベントを繰り返すことではだめだろう。あのオリンピック誘致騒動にかけた大阪市の中途半端さは現代における関西文化の沈滞状況を物語っていると言えまいか。莫大な費用は無駄になり、工作するノウハウさえも主体的に修得もせず、ただ「ああ、やっぱりあかんかったか」でおわる大阪文化はもうかつての日本全国を制覇した上方文化にはその質量レベルともに遠く及ばないことは確かである。
 さてどうしよう。関西文化の繁栄が関西経済の繁栄ないしは成長にかかっているとしたら、ふつうはまずは経済の発展に全力投球すべきだが、現代のグローバル化の状況にある経済を関西圏だけで昇華させていくことはいろいろな意味でも困難だ。それよりも、言葉は「言霊」を持っていることを思いだそう。関西弁の良さ・特性は関西の風土、つまり、深い歴史と型破りのエネルギーであるから、それを強力にとぎすませていくことこそ肝要だ。そして、まずは関西弁がテレビの松竹新喜劇ばかりでなく、文化の一翼を担うものとして日本中でそのレベルの高さを誇るものとして威力を持ち続けるために高度な人材の養成も重要だ。関西には有名な小学校・中学校・高校・私塾など質の高い教育力を保持している。
 ハードばかりでなくソフトにも関西は優位な面を持っている。首都ではないのにこれだけの優位性を持っているという現実を思い出さなければならない。もっと自信を持って関西が一体となって、関西人得意の無駄のないねばり強い改革を本気でやりとげることか゜大切だ。それが成功するプロセスですでに関西弁は世界に機能する言葉と化しているはずである。
 たとえば、京都に元気が見られないのは、観光という歴史物に自分の身丈を合わせてしまって平安時代の感覚に呪われて現代の生活との合間でもだえているにすぎないと言うこともいえまいか。ときどき爆発的に革新や保守に走っても、もうこのような時代性の中では自らが体質を根底的に改善しないとこれからは新しい世界の流れや関西文化の中に取り残されていくだろう。
 関西の各文化圏が全体の体力を強くするための有機的なシステムとして、いわば曼陀羅のようなマクロとミクロの世界が有機的に渾然一体としながらもしかも整然として昇華していく。そのような「方向性」に沿った賢明な指導者達の出現によってそれらが果たされるプロセスにこそ関西弁の果たすべき本来の機能が重層的に潜んでいると言わざるを得ないのである。
 先日上賀茂神社に初詣に行ったときに、たまたま現京都府知事のA氏の顔を見た。もう退任することを決めたこともあったかもしれないが今までテレビで見てきた肩を怒らした知事ではなかった。気楽な庶民としての一関西人・京都人としての品のいい「人」であった。あれほど気品のある自然な笑顔をさせてこなかった京都はいったいどんな都市なのだろうか。大阪の知事が公私にわたっても同じ顔ができるというのと大違いだ。同じ関西でもこれほど違う。この違う関西をなんとかして世界に冠たる文化圏にして、そこから発信される関西弁も強いながらも気品ある尊い文化伝達機能を持った深い記号として有効に機能させたいものである。

作文・小論文なんでも相談室

コンテンツ

小論文の添削・指導は
こちらから

コンテンツ